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Izanagi's Blog

「お藤さん……!

「お藤さん……!?私、その方から頂きました」

 

 それを聞いた琴は憐れむように視線を落とした。

 

「一人息子でございましたから。桜司郎さんに、桜之丞さんの面影を見出したのでしょう。本当に、気のよく利いた孝行息子でしたよ。私ももう一人の息子のように思っておりました」

 

 

 寂しそうなその響きを漏らすと、fue植髮 琴は咳をする。歌は背を擦り寝室へ向かわせようとした。あまり身体が強くないと云う。琴は振り返ると、優しげな笑みを浮かべた。

 

「これも何かの御縁ですから。刻の許す限り、ゆるりとなさって下さい」

 

 会釈をすると、琴は寝室へ入っていく。

歌はすぐに戻り、桜司郎の前に座った。

 

「ふふふ!母上、とても嬉しそうでございました。桜司郎さんのお陰です。これも、桜之丞兄さんのお導きに違いありません」

 

 

 無邪気に笑う歌を見ていると、陽だまりの中にいるように胸が暖かくなる。桜司郎も釣られて口角を上げた。

 

「桜之丞さんのこと、良ければ聞かせてくれませんか」

 

 そう言えば、歌は喜んでと話し始める。

 下町ならではの生活感、活気、その全てが心を満たしていった。風に誘われるように、どこかの家の庭に植えてある小さな梅の木の香が鼻腔を掠める。

 

──初めて来た筈なのに、初めてじゃない気がする。どうしてこんなにも懐かしいの。どうして泣きたいような気持ちになるの。

 

 郷愁の念というのはこの様なことを云うのだろうか。理由も分からずに胸がいっぱいになり、鼻の奥が熱い。

 

 

 やがて、時も経たずに屋敷の中から白髪混じりの女性が出て来た。桜司郎は気配を感じて振り向く。すると、女性は歌と同じようにこれでもかと目を見開いた。

 

「おうのすけ……。お前さま、生きておられたのですか。にしても、まるで時を止めたかのように見目が変わらないと云うのはどういう事でしょう……。この様なところで立ち話も何です。家へお入りなさいな」

 

 

 人違いという前に桜司郎は背を押されて室内へ入る。茶を出され、桜司郎は女性──琴と歌の前に正座をして向かい合っていた。

 

 話しを聞いてみると、こうである。

桜司郎によく似た男は"おうのすけ"といい、漢字は桜之丞と書くらしい。近所に住んでおり、この榎本家とは家族ぐるみで親交があった。特にこの歌を許嫁にしようという話しが挙がっていた程である。

 

だが、十年前の安政の大地震に伴う火事で、人命救助に行くといい飛び出した後、命を落としてしまったという。

───剣術が何よりも好きで、色々な道場へ足を運んでは試合をしていたこと。人と交流して見識を高めると言い、日本各地を回る旅に出ていたこと。正義感が強く、こうと決めたら譲らない性格だったこと。歳が離れていたが、榎本家の次男である と特に仲が良かったこと。

 

 先程、歌から聞いた事が頭の中をグルグルと駆け巡る。彼女は夕飯を作ると云い、厨に立っていた。桜司郎は柱に身を預け、小さな庭を見詰めている。

 

 ふと空を見上げれば茜色の空に、赤に金を織り交ぜたような鮮やかな色彩の細長い雲が浮かんでいた。

 

──もう試衛館に行かなきゃ。居心地が良いけれど、私は"桜之丞"ではないのだから。

 

 

 そのような事を思いながらも、疲れの為か眠気に襲われた。抗いきれずに少しだけ、と目を瞑る。その瞼の裏には、神田明神にて浮かんだ男児の姿がいた───

 

 

 

 三味線堀の近くで肌の青白くも活発な男児が駆け回っている。目線の主はそれを釜次郎、と呼んだ。

その目線より小さい釜次郎の手を引き、神田明神への道を歩く。

 

 

『おれァ、海の向こうの世界が見てみてェ。あー、神田明神様、おれの願いを叶えてくれよ』

 

幼いながらも、達者な口振りで釜次郎はそう言った。

 

『はは、神田明神様はよろず屋じゃないんだから』

 

『神田明神様に祈れば願いは叶うと、おっ母さんが言ってたんだいッ。ちぇっ、そういう

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