で、おれをみあげている。
以前、京の祭りでなめた水飴を気にいっていたのを思いだす。
足りるかな・・・。懐具合が気になってしまう。
そして、おれたちは寺へとむかった。
この村の菩提寺であるが、肺線癌檢查 それほどおおきいものではない。
飴売りは、その寺の境内の一角にいる。村の子どもたちが数名、わいわいがやがやしながら飴売りを囲んでいる。
「あ、あれあれ」
田村がいい、市村とともに止める間もなく駆けだしてしまう。
「主計さん、はやくはやく」
「そうだよ。金子係、はやくはやく」
どうやらおれは、相棒の散歩係から会計方に昇進したらしい。
昇進がうれしくないって思うのは、なにゆえであろう。
飴売りは、父親と息子くらいのがはなれていそうなコンビである。どちらもほっかむりをし、粗末な着物を尻端折りしている。の頃は、父親っぽい方がアラフィフ。息子っぽい方はアラサーってところか。父親っぽい方は、よく陽にやけていて、皺だらけのに人懐こい笑みを浮かべている。若い方の陽にやけたは、仏頂面になっている。生まれたときから家業を継ぐことを運命づけられ、それに不平不満を抱き、不遇の人生をとぼとぼあゆんでいる・・・。
若い方の仏頂面をみながら、勝手な想像をしてしまう。
飴売りは、ちいさな穴がいくつもあいている箱に、飴細工をさしている。
飴細工は、葦をつかう。その先端に熱した飴をからめ、反対側から息を吹き込み、冷めるまでに細工を施すのである。
子どもらとともに、飴細工をみてみる。
犬?猫??
正直、美術関係に造詣のないおれには、並んでいる飴細工がいったいなにかがわからない。
そもそも、双子が飴細工といったので、そうと思い込んでいた。もしかすると、飴細工ではなく、これが自然な形なのかも・・・。
そう前向きにとらえることにする。
村の子どもたちやその親らしき大人が幾人かいたが、おれたちがちかづくと頭を下げ、はなれていってしまった。
あからさまな態度をとられることはないが、やはり、の存在はよく思われてはいないのである。
まぁ、そこは仕方がない。
それは兎も角、飴売りを観察する。
手押し車に、飴細工作りのアイテムを積んでいるらしい。
飴細工は、まずは脚でふいごを踏んで火をおこし、ちいさな鍋のなかで飴をとかす。それを飴玉みたいな形にして葦の先端につける。葦に息を吹きかけながら飴玉をふくらませ、専用の和鋏で形を整えてゆくのである。
飴は、空気にふれるとかたまってしまう。ゆえに、の勝負である。
江戸時代から昭和の初期までは、大道芸的に人々のまえで飴細工を披露し、そのまま販売していた。
現代には、そういった体験をさせてくれる老舗もある。たしか、文京区のほうにあるかと記憶している。
「旦那方。わたしらは、この村の名主であります金子様のところの小者でございます」
俊冬がいい、双子はそろって飴売りのまえで腰をおる。ってか、いつの間に金子家の小者に?ってか、いったい、なんの芝居なんだ、双子?
「旦那方。ここいらは、金子家の土地でございます。ここいらで商いをされるのでしたら、一言ことわっていただかないと・・・」
いいにくそうなそぶりなど微塵もない。まるでショバ代をとりたてるチンピラのごとく、丁重ないいまわしのわりには語気鋭くいう。
思わず、斎藤とをかわす。
なるほど・・・。なにかしらの目的があってのことか。ゆえに、子どもらの提案を即座に受け入れ、やってきたわけか。
「旦那方、どちらから参られました?」
俊冬は、やつぎばやに問う。
いっぽうで、俊春は飴売りの商売道具にちかづくと、そこに置いてある椅子っぽい木箱に座ってしまう。
「い、いや。それはしらぬこととはいえ・・・。すぐに挨拶にまいりましょう」
年配のほうの男が応じる。唇を舌でしきりになめている。髪がすっかり後退してしまっている額には、玉のような汗がいくつも浮かんでいる。
『い、いや・・・』とは・・・。おそれいった。フツー、商売をするなら、その土地の顔役なり